最終更新:ID:xx3i8fTfaQ 2022年12月21日(水) 18:58:17履歴
成形炸薬弾とは、弾薬の一種である。
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中に入っている円錐形の金属板に爆圧を加え、凄まじい圧力により液体状に変形した金属板を突き出して装甲をブチ破る弾である。
そのあと爆発し、戦車などの重装甲の相手を撃破するのだ。
着弾後に金属板が変形するので、特に勢いはいらない。ロケットランチャーや対戦車ミサイルなどに搭載されることが多いのはそのためである。
原理的にはウォータージェットに少し近いため、ウォータージェットと同じく勢いを阻む障害物やら本体の揺れには結構弱い。
ちなみに高圧なので圧力により相手側の装甲も液状化する。HEAT弾と呼ばれるが熱で溶かしているわけではない。(Hi-Explosion-Anti-Tankの略)
そのあと爆発し、戦車などの重装甲の相手を撃破するのだ。
着弾後に金属板が変形するので、特に勢いはいらない。ロケットランチャーや対戦車ミサイルなどに搭載されることが多いのはそのためである。
原理的にはウォータージェットに少し近いため、ウォータージェットと同じく勢いを阻む障害物やら本体の揺れには結構弱い。
ちなみに高圧なので圧力により相手側の装甲も液状化する。HEAT弾と呼ばれるが熱で溶かしているわけではない。(Hi-Explosion-Anti-Tankの略)
金属というのは力を加える、つまり圧を加えると曲がる。つまり凄まじい勢いで曲げるとまるで粘土のように変形するというわけである。(なんか違ったらごめんなさい)
そしてその高圧の金属がウォータージェットのように物を吹き飛ばし、装甲に穴を開けていくのである。(勢いを失うと固まります)
この圧力だけで液化する圧の値…ユゴニオ弾性限界は金属によって違う。
そしてその高圧の金属がウォータージェットのように物を吹き飛ばし、装甲に穴を開けていくのである。(勢いを失うと固まります)
この圧力だけで液化する圧の値…ユゴニオ弾性限界は金属によって違う。
むかしむかし、モンロー;*1という鉱夫の男がいた。
ある時モンローは爆薬の塊に窪みを付けてその裏から導火線などで爆破させると、窪みの頂点を中心に爆発の圧力が集中し、そのまま突き進んで岩盤や鉄板に穴をあける効果があることを発見した。
そのしばらく後、ノイマン;という別のオッサンが窪みの表面を銅などの金属で覆うことで、穴を開ける効果がより強くなるという方法を思いついた。
成形炸薬弾はこのモンローとノイマンの二人のおっさんが発見した原理をモオープトというスイス人が兵器利用したものである。この原理は2人の名前にちなみ、モンロー・ノイマン効果;と呼ばれることが一般的である。
(ちなみに、モンローノイマン効果により集中した爆発の圧力のことをメタルジェットと呼ぶ。窪みの形状は円錐型*2と半球型があり金属には前者、コンクリートには後者が使用されることが多い。)
成形炸薬弾及びモンロー・ノイマン効果を利用した兵器のアイデアは1930年代の後半に現れたと言われるがハッキリしない。これらの兵器の実戦投入はナチスドイツが1940年にベルギーを攻めた際に、要塞の砲台を破壊するために用いられたのが最古の使用例と言われる。ただし、当時は成形炸薬弾の技術は未知の領域であり、効果はイマイチだったらしい。砲弾として利用したのもほぼ同時期だったと言われる。メタルジェットが撃ち抜ける戦車のボディーの厚みは、時代によって異なり、第二次世界大戦の初め頃だと窪みの直径の0.8倍から1.3倍程度であったが、研究により少しずつ増えていき、最終的にはものにもよるが約2.5倍にもなった*3。
#fold(日本では…){{
日本に成形炸薬弾の技術が伝わったのは、太平洋戦争が始まって間もない、1942年(昭和17年)の前半頃である。伝えたのはドイツであり、技術交流の一環だった。当時の日本での成形炸薬弾の呼称は、対戦車榴弾の頭文字を取ってタ弾または、穿孔榴弾と呼ばれた。日本軍はドイツから派遣されたニーメラー技士の指導の元、山砲用の弾と、小銃を利用した擲弾発射器用のものを開発し、太平洋の戦地へ配備したといわれる。これらの兵器は割と役に立ったが、数が少なく戦局を変えることはなかったのはいつもの日本である。これら以外にも手投げ弾タイプや竿の先に成形炸薬弾をつけた兵器?など*4が使用されたが、こちらの詳細な戦果は不明である。
}}
砲弾としての成形炸薬弾の特徴は、最初の頃は、弾速の遅い大砲でしか使えなかった。なぜかというと成形炸薬弾が現れた頃の大砲は基本的に砲弾を発射時にドリルのように回転させながら飛ばすものが多かったからである。
これは命中力と射程距離を伸ばす為に砲身内部に螺旋状の溝が何本も彫ってあるためであり、砲身内を進む砲弾の一部が溝に食い込んで回転する仕組みになっている。加えて弾速が速ければ早いほど、その分更に命中率と射程が増えた。
ところが、砲弾の速度が速いとその分回転も激しくなるため、その遠心力でメタルジェットが分散してしまうので成形炸薬弾とは相性が良くなかった。
このため、弾速の速い大砲で成形炸薬弾を使う時は発射薬を少なくして弾速を落とすなどの工夫が必要だったし、弾速が遅くなると命中率が悪くなるため、目標に余計に近づかなければならない。これが第二次世界大戦後に起きた冷戦の頃になると技術のハッテンにより弾速の速い大砲でも問題なく使えるようになる。
次に成形炸薬弾は、装甲板に穴を開けたあとの威力が徹甲弾と比べて低いという特徴がある。徹甲弾は装甲板を撃ち抜いて内部に飛び込んだあと、爆発したり跳ね回ったりして中の兵士や機材に大ダメージを与えやすく、敵を戦闘不能にしやすかった。
対して成形炸薬弾の場合は、メタルジェットによって装甲板を撃ち抜くのだが、メタルジェット自体は装甲板を撃ち抜くとかなり弱くなり、実体がないため徹甲弾のように跳ね回ったり爆発したりせず、まっすぐに進むだけなので、その道筋に何もない場合は大したダメージを与えられない。
このために、戦闘不能にするのには徹甲弾よりも多く有効弾を与える必要性があり、反撃をもらったり、簡単な修理で再利用されてしまう可能性が高かった。この問題点は現代でも解決してない。
その他には成形炸薬弾にはスタンドオフと呼ばれる距離があり、大雑把にいえは、砲弾内にある窪みの縁から装甲板までの長さである。この長さが短すぎるとメタルジェットを形作るヒマがなく、効果を存分に発揮できない。また集中した爆発の圧力が空気中を進む距離は狭く、戦車の車体の前に薄い板を空間を開けて設置することで成形炸薬弾の威力が減るあるいは無力化されてしまう。このスタンドオフと呼ばれる長さは先述したモオープトが発見したものである。
ある時モンローは爆薬の塊に窪みを付けてその裏から導火線などで爆破させると、窪みの頂点を中心に爆発の圧力が集中し、そのまま突き進んで岩盤や鉄板に穴をあける効果があることを発見した。
そのしばらく後、ノイマン;という別のオッサンが窪みの表面を銅などの金属で覆うことで、穴を開ける効果がより強くなるという方法を思いついた。
成形炸薬弾はこのモンローとノイマンの二人のおっさんが発見した原理をモオープトというスイス人が兵器利用したものである。この原理は2人の名前にちなみ、モンロー・ノイマン効果;と呼ばれることが一般的である。
(ちなみに、モンローノイマン効果により集中した爆発の圧力のことをメタルジェットと呼ぶ。窪みの形状は円錐型*2と半球型があり金属には前者、コンクリートには後者が使用されることが多い。)
成形炸薬弾及びモンロー・ノイマン効果を利用した兵器のアイデアは1930年代の後半に現れたと言われるがハッキリしない。これらの兵器の実戦投入はナチスドイツが1940年にベルギーを攻めた際に、要塞の砲台を破壊するために用いられたのが最古の使用例と言われる。ただし、当時は成形炸薬弾の技術は未知の領域であり、効果はイマイチだったらしい。砲弾として利用したのもほぼ同時期だったと言われる。メタルジェットが撃ち抜ける戦車のボディーの厚みは、時代によって異なり、第二次世界大戦の初め頃だと窪みの直径の0.8倍から1.3倍程度であったが、研究により少しずつ増えていき、最終的にはものにもよるが約2.5倍にもなった*3。
#fold(日本では…){{
日本に成形炸薬弾の技術が伝わったのは、太平洋戦争が始まって間もない、1942年(昭和17年)の前半頃である。伝えたのはドイツであり、技術交流の一環だった。当時の日本での成形炸薬弾の呼称は、対戦車榴弾の頭文字を取ってタ弾または、穿孔榴弾と呼ばれた。日本軍はドイツから派遣されたニーメラー技士の指導の元、山砲用の弾と、小銃を利用した擲弾発射器用のものを開発し、太平洋の戦地へ配備したといわれる。これらの兵器は割と役に立ったが、数が少なく戦局を変えることはなかったのはいつもの日本である。これら以外にも手投げ弾タイプや竿の先に成形炸薬弾をつけた兵器?など*4が使用されたが、こちらの詳細な戦果は不明である。
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砲弾としての成形炸薬弾の特徴は、最初の頃は、弾速の遅い大砲でしか使えなかった。なぜかというと成形炸薬弾が現れた頃の大砲は基本的に砲弾を発射時にドリルのように回転させながら飛ばすものが多かったからである。
これは命中力と射程距離を伸ばす為に砲身内部に螺旋状の溝が何本も彫ってあるためであり、砲身内を進む砲弾の一部が溝に食い込んで回転する仕組みになっている。加えて弾速が速ければ早いほど、その分更に命中率と射程が増えた。
ところが、砲弾の速度が速いとその分回転も激しくなるため、その遠心力でメタルジェットが分散してしまうので成形炸薬弾とは相性が良くなかった。
このため、弾速の速い大砲で成形炸薬弾を使う時は発射薬を少なくして弾速を落とすなどの工夫が必要だったし、弾速が遅くなると命中率が悪くなるため、目標に余計に近づかなければならない。これが第二次世界大戦後に起きた冷戦の頃になると技術のハッテンにより弾速の速い大砲でも問題なく使えるようになる。
次に成形炸薬弾は、装甲板に穴を開けたあとの威力が徹甲弾と比べて低いという特徴がある。徹甲弾は装甲板を撃ち抜いて内部に飛び込んだあと、爆発したり跳ね回ったりして中の兵士や機材に大ダメージを与えやすく、敵を戦闘不能にしやすかった。
対して成形炸薬弾の場合は、メタルジェットによって装甲板を撃ち抜くのだが、メタルジェット自体は装甲板を撃ち抜くとかなり弱くなり、実体がないため徹甲弾のように跳ね回ったり爆発したりせず、まっすぐに進むだけなので、その道筋に何もない場合は大したダメージを与えられない。
このために、戦闘不能にするのには徹甲弾よりも多く有効弾を与える必要性があり、反撃をもらったり、簡単な修理で再利用されてしまう可能性が高かった。この問題点は現代でも解決してない。
その他には成形炸薬弾にはスタンドオフと呼ばれる距離があり、大雑把にいえは、砲弾内にある窪みの縁から装甲板までの長さである。この長さが短すぎるとメタルジェットを形作るヒマがなく、効果を存分に発揮できない。また集中した爆発の圧力が空気中を進む距離は狭く、戦車の車体の前に薄い板を空間を開けて設置することで成形炸薬弾の威力が減るあるいは無力化されてしまう。このスタンドオフと呼ばれる長さは先述したモオープトが発見したものである。
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